「占いの段現代語訳」

金土の初爻を尋ぬるに
西方金剛界におられる諸仏にお目通りを願って、占いの第一からいいますと

辺涯一片の風より起って水金二輪の重結に顕る
果てしないかなたから吹く風(風邪にかける)が基になりまず風輪がつくられ
その上に水、その上に金と重いものが重なり結んで大地となる
(ふとした風邪が原因で重体になったのだ)

総じて須弥は十六万由旬の勢
さて須弥山は金輪より十六万由旬(一由旬は160キロメートル)の高さで

五重色空の雲に聳え、金銀碧瑠璃玻球、加寶の影
幾重にも重なった雲に聳えて須弥山の四面は金(北)銀(東)碧(南)瑠璃(西)の四寶の宝から成りその宝の色が空に顕れ

四洲常楽の波に浮かめり
四洲(東勝神洲、南瞻部洲、西牛貨洲、北倶廬洲)は楽しみの絶えることない波に浮かむ

されば南瞻部洲の草木、須弥の影映るによって緑なるといえり
この人間世界のある南瞻部洲の草木が緑色しているのは須弥山の南面の宝の影が映っているからなのです

さてこそ南は青くとは読みたれ
そこで「南は青く」と歌に詠まれたのです

ここに父の恩の高きこと、高山千丈の雲も及び難しと見えたれ
さて父の恩の高いことは高い山や千丈の高い所にある雲もこれには及ばないのです

されば父は山
それで父を山に喩えたたのです

そめいろとは風病の身色生老病死の次第を取れば
染色とはこの風邪の容体を表し、死の順序を四方に当てはめると(死は西に当たり)

西紅と見えたるは、命期六爻の滅色なれば
「にしくれない」とあるから入り日のさまを示し、寿命が六爻の死の相であるから

既に難儀の所労なれども、但し此のそめいろとは声を借りたる色どりなり
これはもはや回復困難な病気と判断するが、ところがまた染色とは蘇迷廬の音を借りて言葉の飾りとしたもので

文字には蘇命路なり、蘇る命の路と書きたれば、真に命期の道なれども
正しい漢字は「蘇命路」で、蘇る命の路と書きますから実際寿命は尽きかかってはいるが

また蘇命路に却来して、再びここに蘇生の寿命の種となるべき歌占の詞
命が蘇る路にまた戻って二度生き返って寿が続く という歌占の詞ですから

頼もしく思し召され侯へ
心丈夫に思いなさい